「ないものはつくればいい」
から始まった
商品開発の精神。
1972年の會社設立以來、50年もの長きにわたりひとつの考え方のもと、オリジナル製品を作り続けてまいりました。
それは「ないものはつくればいい」。
當社の基礎となった「住宅用基礎鋼製型枠(以下 型枠)」は、當時の常識では考えられないものでした。
しかし多くの人のご盡力で製品化され普及し、今では當社を支える重要な製品の柱の1本へと成長しました。以來、様々な商品の開発、製造、販売を行ってまいりましたが、これもお客様が當社を信頼、期待してくださったことと、社員が一丸となってお客様の期待に応えようとした歴史にあります。
社員がさらに結束して100年企業を目指していくために、50周年の節目の年に、
創業者であり現會長の鈴木捷也とともに株式會社エヌ?エス?ピー(以下 エヌ?エス?ピー)の歩みを振り返ります。
50年を振り返り、今思うこと
- 1972年の會社設立から50年。この半世紀で改めて思うことは?
- 人に恵まれたということです。會社の內側も外側も、本當に優れた人材に恵まれました。
- 今までで最も思い出深い商品は?
- 型枠です。それまでの型枠と言えば杉の板で作っていました。それを鉄で作るというのだから、「そんなものはだめだ」と隨分言われたものです。ところが、鉄でも型枠ができるということを研究してくれる人が現れたり、住宅メーカーへつなげてくれる人が現れたり。多くの人に後押しされてエヌ?エス?ピーの代表商品になりました。
それからクイック土留(下水道工事関連器材)です。こちらは大規模なシステムを導入して成功しました。當時役員の中にも「會社が潰れる」と隨分反対するものもいたが、結果的に安定した品質とコストダウンでお客様に満足してもらうことができた?!感蜄槨工取弗ぅ氓亮簟工?、看板商品です。



常に前に向かって進んでいた
- 今までにどんな苦しみや壁がありましたか?
- 苦しかった時期も壁もなかった。型枠のピークが過ぎた頃に阪神?淡路大震災が起こり、型枠は復興の役に立てたんじゃないかと思っています。
- 型枠の売り上げが半減し、クイック土留の芽がまだ出なかった苦しい時期もあったと思いますが…。
- クイック土留のシステムができ上るまでは、確かにどんと売り上げが落ちた中間時期もあった。それを仕入れ商品の「回転レーザー」が繋いでくれた。天端レベリングや空調服もヒットしている仕入れ商品です。
- 仕入れ商品の他に行ったことは?
- ヨーロッパへ視察に行ったり、語學の習得のために、社員にアメリカへ行ってもらった。あの時何もしなかったら、今はないと思います。

歩み続けてこられた理由
- 50年間ひたすら歩み続けてこられた一番の理由は?
- 「企業として社會的貢獻を果たしてきた」ということ。まず利益は社員に還元する。儲かったら社員に感謝を込めて、期末賞與で還元してきました。次に社會貢獻。色々な方法、カタチがありますが、利益を上げて稅金を払うのも社會貢獻のひとつです。そして會社が持続可能な體力をつけておくこと。技術力や人脈の蓄積、そして內部留保など。これをやってきたから、今があるんだと思います。大切なのは、ホームランを狙うより著実にヒットを打ち続けること。特に我々のような田舎の會社は3本に1本はヒットを打たなければいけない。
- 次の50年に向けて、エヌ?エス?ピーに望むことは?
- 「型枠」「クイック土留」に続く商品の3本目の柱を創り上げること。會社設立の頃から言っているのがお客様の「ニーズ」ではなく「ウォンツ」。必要だから作るではなく、「これが欲しかった」と言ってもらえるものを作ることです。
- とにかくやってみよう!という実踐主義で、次の50年も歩み続けていきたいと思います。


50th anniversary mark

マークに込められた想い
コーポレートマークをリスペクトした階段狀の図形は、土臺?基礎を表現し、5段目は50周年となる今の節目を表します。 50年からまた、スタートする未來への決意を込めました。
キャッチフレーズ
「ないものはつくればいい!」その精神は、創造を促しました。そして創造を重ねることで、NSPは進化を遂げてきました。 これからも進化を続けながら未來へ進む姿勢をこめたキャッチフレーズです。